クエスチョニング・クィアであること🏳️🌈
私は現在、自身をクエスチョニング・クィアであると認識しています。LGBTQ+のQ。
JobRainbowの用語解説記事から引用
LGBTQ+のQとは?【実はよく知らないクエスチョニング・クィア】https://jobrainbow.jp/magazine/queerandquestioning
>クエスチョニングとは、自身の性自認や性的指向が定まっていない、もしくは意図的に定めていないセクシュアリティ
私の場合はシス女性であることははっきりしているので、性的指向が定まっていないという状態。
20歳過ぎた頃、異性愛者であることに違和感があると気づき、自分はLGBTQ+で、"クィア"なのかも知れないと思うようになった。
しかしLGBTQ+について調べても、同性の恋人がいたり、恋愛感情の有無をはっきりさせていたり、みんな自分のあり方が定まっている人の話が溢れている。どれもピンと来なかった。
そういう情報ばかりが目につくと、何も定まってない自分に「私は"本当のクィア"と言えるだろうか」と不安になり、クィアコミュニティにいても所在なさを感じていく。はっきりとした"クィアである証明"が欲しかった。
自分の当時のTwitterを見返しても、明らかにクィアであることをアピールしている呟きや、クィア用語を無理に使用している。完全に痛いやつ。
そんな"証明''を必死で探している中で「クエスチョニング」の存在を知ったが、「答えがない」「どこにも定まらない」というあり方に不安を覚えて、すぐにはアイデンティファイできずにいた。
しかし結局、何年探しても自分のあり方はどこにも定まらない。これはたぶん、もう私がクエスチョニングだからなのだろうな……と、諦めるように数年かけて認めていった。
本当にきっかけもないし、ブログにするような話でもなんでもないんだけど、だんだんクエスチョニングであることに違和感がなくなって、そこから肩の荷が降りたような感覚があった。クエスチョニングもひとつの属性であることに変わりない。自分がどこかに属したことで、もう悩まなくていい、自分のあり方はこうなのだと思えるようになった。
ヘテロ、レズビアン、ゲイ、バイ…どこにも居場所が見つけられなくて、分からないままでいることがあんなに苦しかったのに、こうして分からないままでいる自分のあり方にも名前があって 居場所があるというのは、なんて有難いことだろう。
言葉で定義することで助かる人はたくさんいる反面、こぼれ落ちてしまうひと達もいる。クエスチョニングやクィアのあり方の、包括的な定義に救われた人は多いのではないかなと思う。
ずっと明確なものが欲しかったけど、そんなの必要なかった。私が探していた"本当のクィア"なんてどこにもなかったとようやく気付いた。
クィアはこの映画が好き、このアーティストが好き、クィアに愛されてるから、クィアをエンパワーしてくれるから、、そういうものに無理に目を向けて安心することも辞めた。
そういう"クィアらしさ"を追いかけなくても、無理にどこかのクィアとされる属性に定めなくても、私がクィアであることは揺るがない。
誰にも説明できないし するつもりもないけど、自分のアイデンティティに関して、分からないものを分からないまましておける強さがほしい。他者のあり方に対してもそうでありたい。
みんな同じように、分からないことだらけで矛盾だらけで流動的でめちゃくちゃなのが人間だと忘れないでいたい。それを愛おしく思いたい。